================================ 初期構造の決定 ================================ もし、構造因子が正しく分かっていれば、それらのフーリエ合成で格子内の電子密度が得られ、そこから原子の種類と位置が決まる。しかし回折実験からは構造因子の絶対値しか求まらないため、構造因子の位相部分を何らかの方法で推定する必要がある。SDPD法には大別して2つあり、1つは構造因子の位相を求める方法である。もう1つは位相を直接求めるのではなくて、実空間で直接原子位置を決める方法である。前者では直接法が主に利用されおり、これは単結晶構造解析と同じである。位相を求める方法では正確な強度データが必須であり、強度が不確かであると正しい構造に到達することは難しい。一方、後者の実空間での探索法では、実空間での試行的結晶構造から粉末パターンを計算して、実測回折パターンと比較する。そのため、重畳ピークを分離する必要がない。その反面、実空間探索法では構造が複雑になるほど膨大な探索が必要となり、計算時間が非常に長くなるという弱点がある。以下では個々の解析法についてもう少し詳しく見る。 直接法 ================================  直接法については単結晶構造解析の教科書(例えば [Ohashi]_ )などに詳しいので、ここでは必要最小限のことだけ述べる。なお、位相決定法のテキストが国際結晶学会から最近出ており( [Giacovazzo]_ )、粉末データの解析やチャージフリッピング法等も取り扱われている。回折実験により各指数の回折強度が得られるが、位相の情報は失われている。しかし、強度の中にも位相の情報が潜んでいる。それを様々な関係式を使って取り出すのが直接法である。しかし、先に述べたように粉末データでは強度自体にピーク重畳による不確定さが残るために、直接法を使った解析でも成功しない場合がある。この粉末特有の問題を改善するために、後で述べるように様々な方法が提案されている。  直接法では、個々のピーク強度が必要であるため、重畳ピークを分解する必要がある。回折パターン分解の方法としてはLe Bail法( [Le_Bail88]_ )とPawley法( [Pawley]_ )がよく知られている。これらは類似しているが、Pawley法ではピーク強度自体が非線形最小自乗化で決められるべきパラメータであるが、Le Bail法では強度は拘束されない。計算の高速性の点からLe Bail法が主要なプログラムで使われている。しかし、これらの方法では重畳ピークについて最初に等分配を仮定するか(Le Bail法)、重なったピーク強度は計算の安定性のために強制的に同じとしてしまうため(Pawley法)、最終結果がバイアスされる。これらを防ぐために、部分構造が既知の場合にはその情報を使って改善する(RIETAN-FPのLe Bail解析)、等分配でなく乱数を使う方法(EXPO2014)などが提案されている。  Le Bail法等でピーク分離して、各指数の強度を求めることができれば、適切な補正の後に単結晶用に作られた直接法プログラム(SHELX, SIRなど)を流用することができる。これは暫く前まではよく行われていた手法である(例えば [Le_Bail88]_ )。しかし、現在では粉末データを直接取扱うために様々な機能を導入した直接法のプログラムが存在するため、そちらを使うことが推奨される。粉末X線回折データから結晶構造を求める定番のプログラムとしてEXPOがある。これはイタリア結晶学研究所のAltomareらにより作られており、単結晶データ用の直接法プログラムSIRをベースに、それを粉末用に特化させたのがSIRPOW、さらに指数付け(NTREOR)、空間群推定、強度抽出(Le Bail法)、リートベルト法などの機能とそれらをGUIで使えるように統合化したのがEXPOである。最近では実空間探索法も取り込んでおり、最新版はEXPO2014である( [Altomare13b]_ )。大学の研究室での使用は無償だが、企業では有償となる。EXPO2014は粉末データと化学組成の情報さえあれば、このプログラムだけで初期構造の決定からリートベルト法による構造精密化までを行うことができる。比較的簡単な構造の初期構造決定には5分とかからない。極めて強力な総合プログラムであり、教育的な目的での使用にも推薦できる。実際の使用例を後で見る。計算の流れとしては、ピークサーチ、指数付け、空間群の推定、Le Bail法等によるピーク強度の抽出、Wilson統計を使った強度の規格化、構造不変量の計算、初期位相組のリストアップ、その位相組を使ったE-フーリエ合成と得られた電子ピークの化学的同定、得られた構造の改善と進行する。後半部分は単結晶構造解析とほぼ同じである。満足できる初期構造が得られたら、リートベルト法による精密化へと進む。  ここでは現在主流の直接法について述べたが、従来単結晶構造解析でよく使われていたパターソン法や重原子法を粉末データに適用することも当然可能である。それらの方法の詳細については、単結晶構造解析の教科書等を参照されたい。 チャージフリッピング法 ================================  チャージフリッピング法( [Oszlányi_Süto]_ )は直接法と同じで構造因子の位相を求める方法であるが、同時に実空間で電子密度を改善する方法でもあるので、双空間法と呼んだ方がいいかもしれない。この方法は比較的新しい方法であるので、少し解説する。直接法同様にピーク強度が入力データとして必要となる。最初に、乱数を使って仮に決めた位相と測定された強度から仮の構造因子をつくり、それらをフーリエ合成して単位格子内の電子密度分布を得る。仮の位相を使っているために、得られた電子密度はほぼデタラメであり、負の値を持つ領域が多数存在する。負の電子密度に物理的な意味がない。そこで小さい正の値(δ)よりも低い電子密度部分の符号を反転(flip)させて、新しい電子密度を作る。この操作がこの方法の名前の由来となっている。こうして更新された電子密度を逆フーリエ変換して、少し改善された構造因子を得る。得られた構造因子の位相部分はそのまま採用し、構造因子の絶対値部分は実測強度に戻す。後はこれを繰り返すと、位相と電子密度分布が徐々に改善されていき、最終的には尤もな電子密度が得られ、構造が解かれたことになる。直接原子位置が求まる訳ではないが、電子密度から原子位置の推定は簡単にできる。直接法の理解に苦労された方は多いと思われるが、それに比べるとこの方法は非常に単純である。チャージフリッピング法の詳細についてはレビュー論文( [Palatinus13]_ )を参照されたい。最近、単結晶データを使った、直接法とチャージフリッピング法の比較が行われたが、初期構造決定について両者はほぼ互角の成績とされている( [van_der_Lee]_ )。著者は同じ印象を粉末データについても得ている。この方法は単純であり、プログラム作成も容易であるので、チャージフリッピング法が初期構造決定に今後広く使われるようになるかもしれない。  直接法のところで述べたように逆空間で解析を行う方法では粉末データの重畳ピークのために特別な扱いが必要となる。チャージフリッピング法で提案されている1つの方法はhistogram matching法である。この方法では分離していない重畳ピークを1つのグループとして扱う。上記の計算ループ途中で、得られた電子密度分布を期待される電子密度のヒストグラムになるようにスケール変換する。この新しい電子分布をフーリエ変換して、新しい構造因子を得る。グループに属するピークについては、得られた構造因子の絶対値部分を利用する。こうして得られた新たな構造因子を使って、チャージフリッピング法の本来のループに戻る。これにより、それまでに得られている電子密度を使って重畳ピーク間での強度再分配を行っていることになる。チャージフリッピング法で代表的なプログラムにSuperflip( [Palatinus07]_ )があり、上記の直接法との比較でも使われた。Superflipは強度データを与えると、チャージフリッピング法で位相と電子密度を計算するプログラムである。総合化ソフトではないので、指数付け、強度抽出および構造精密化は別のプログラムを利用する必要がある。この目的にはEXPO2014、Le Bail法を組み込んだリートベルト法プログラムや、後で述べるFOXなどのプログラムを利用することができる。得られた電子密度から原子種と非等価位置を抽出するためのEDMAプログラムが同じサイトで公開されている。また、結晶構造・電子・核密度可視化プログラムVESTA( [Momma_Izumi]_ )はSuperflipが出力する電子密度を3D表示でき、電子密度ピーク位置を求めることもできる。  チャージフリッピング法では全ての原子に対応する電子密度が得られることもあれば、軽い原子が見えないケースも多い。しかし他の方法と違って、得られた部分構造を使って改善する方法論は今のところない。そのため、得られた重い元素の位置や分光法等で得られた構造情報を解析に活かすことができない。しかし、強度抽出の段階では、EXPO2014の機能、またRIETAN-FPでもLe Bail法で部分構造を入れて重畳ビークの強度再分配を行えるので、それらを利用して改善を図ることが考えられる。また、一部の重い原子だけが得られた場合には、直接法や実空間探索法にそれらの原子位置の情報を移して解析を続けることができるだろう。近い将来、チャージフリッピング法を核にした総合解析プログラムが作られるだろうが、現在のところはSuperflipを使う場合には別の解析方法やプログラムを利用すること必要である。なお、FOXを強度抽出に使い、Superflipの入力ファイルを作成するユーティリティプログラムを著者のウェブサイトで公開しているので、興味のある方は利用されたい。  チャージフリッピング法は単結晶データでは空間群を仮定することなくP1で解析を進めることができ、また化学組成も厳密に知る必要がないために、乱れた構造や超構造などの解析にも利用されている。しかし、粉末の場合にはピーク強度抽出時に正しい空間群が必要となり、単結晶とは事情が少し異なる点に注意が必要である。 実空間探索法 ================================  以上の2つの方法とは異なり、実空間探索法では実空間において単位格子内の原子位置を仮定して、その構造から粉末回折パターンを計算する。そのため、重畳ピークを分離する必要がなく、重畳が深刻な場合や、少しブロードなパターンでも解析できる利点がある。また、高角側のデータを使う必要がない。もし、求めるべき構造パラメータが数個しかない場合は、探索パラメータ空間を小さく区切り、その格子点を逐次計算するグリッドサーチ法で解を得ることができるであろう。解の善し悪しの判定にはR因子等が使われる。グリッドサーチのよいところは確実に解が見つかるところであるが、少し複雑な構造になると計算は天文学的な数となり、実際的ではなくなる。実空間探索法に限らず、非常に多くの可能性の中から効率的に最適な解を見つけることは、様々な分野で繰り返し現れる問題であって、その解法は大局的最適化法と呼ばれる。最適化すべき値はコスト関数と呼ばれ、実空間探索法の場合はR因子等が普通使われるが、原子間距離への制約や原子価をコスト関数に追加することも可能である。大局的最適化の具体的手法としては、シミュレーテッドアニーリングやジェネティックアルゴリズムなどが提案されている。実空間探索法でもこれらの方法が多く使われている。シミュレーテッドアニーリングはモンテカルロ法の拡張であり、最初に高温から出発して局所的な最小値から脱出できる状態で幅広く探索をさせて、温度を下げることで大局的な最小値に落ち込み、そこに長く留まるように仕向ける。実際に適用する時には、正解ではない、局所的最小値に落ち込まないための各種の工夫がなされている。  実空間探索法で代表的なプログラムにFOX ( [Favre-Nicolin]_ )がある。FOXにはピークサーチ、指数付け(DicVol)、空間群推定、フーリエ合成の機能もあり、GUIを使った総合的なソフトとなっている。ソース自体も公開されている。ただ構造精密化機能はないので、最後はRIETAN-FP, GSAS, Fullprof等のリートベルト法プログラムと組み合せる必要がある。FOXを含め実空間探索法のプログラムでは分子や原子団を扱うことができる。分子結晶の場合は、分子自体の構造は事前に分かっている場合が多く、結晶になった場合にも分子自体の変形は少ないため、実空間探索法は分子結晶の構造解析で広く使われている。そのため、無機結晶は不得手と思われるかもしれないが、ほとんどの無機結晶は配位多面体の組み合わせとして扱えるため、実空間探索法は無機結晶においても有効である。  例えば、酸化物で6配位のAlが構造中にあることが事前に分かっていれば、AlO\ :sub:`6`\ 八面体として扱うことができる。もしこれを全て原子として扱えば、全体の自由度は各原子の位置の自由度が3で、原子が7個あるので計21となるが、八面体として扱えば位置の自由度3と八面体の方位を規定するオイラー角の自由度が3個で、計6となる。原子として扱うよりも自由度がかなり減ることが分かる。つまり部分構造(配位数)が分かっていると、探索空間を大幅に減らすことが出来る。なお、そのような多面体が酸素を共有する場合には、複数の酸素の接近により、酸素の占有率を自動的に減らす工夫がなされている。  FOXではさらに結晶化学的制約としてantibumpとbond valenceをコスト関数に追加することができる。antibumpは2つの原子が予め設定された距離よりも近づきすぎるとコスト関数にペナルティーを与えて、偽の極小に陥ることを防ぐ。これらの適切な使用は解を安定に、より早く求めることにつながるが、回折データのみで決まるべき原子位置にバイアスをかけていることに注意する必要がある。構造が正解に近づいたら、これらの制約は解除したらよい。