事前情報の活用:固体NMR分光法 ================================  先に述べたようにFOXなどの実空間探索法による構造解析では、部分構造が既知であると探索空間をかなり絞ることができる。固体NMR分光法は、部分構造(局所構造)を得るための非常に強力な方法である。部分構造を得ることで、未知構造解析をより確実に進めることができる。我々は実空間探索法とNMRを組み合せて、高圧相の未知結晶構造解析を行ってきた。ここでは固体NMR分光法について簡潔に解説する。詳しくは [Xue08]_ の解説を参照されたい。国際結晶学会においてNMR結晶学の委員会が2014年に作られており、我々が実施しているような結晶学へのNMRの応用などが推進されるようである。  多くの元素の原子核はゼロでない磁気スピンを持ち、磁場をかけると複数のエネルギーレベルに分裂する(Zeeman分裂)。レベル間のエネルギーに相当する電磁波を照射すると、レベル間での遷移が生じる。遷移が生じる周波数を共鳴周波数と呼ぶ。共鳴周波数は原子核周りの電子分布による遮蔽の度合いによって変化する。これを化学シフトと呼ぶ。電子分布は結合している原子種、結合様式、配位数などに依存するため、化学シフトはその原子周辺の構造を反映している。このことから、NMR分光法は対象原子の局所構造の情報を与えてくれる。多原子を含む場合には、個々の原子(核)毎の局所構造が得られる。しかし、格子内の原子座標を直接求めることはできない。  気体、液体中の原子は分子運動などで高速回転しており、その感じる磁場や双極子相互作用などは平均化されていて、スペクトル上でシャープなピークを与える。一方、そのような平均化機構のない固体試料では非常にブロードなピークを示し、ピーク形状から席の対称性については分かるが、席が多い場合には重なってしまって構造情報を得ることが難しかった。固体NMR分光法の進展はピーク幅をいかに狭くするかの歴史といってもよく、マジックアングル回転(MAS)法、多量子法(MQ-MAS)法などの手法の開発によって、広幅なピークはシャープなピークとなり、局所構造の異なる原子席がスペクトル上で分離されるようになった。特にSi, P, Hなどのスピン1/2の核種では、結晶学的に非等価な席が分離したピークとして観察され、かつピーク強度には定量性がある。そのため、結晶学的に非等価な席の数とその存在比率がスペクトルから直ちに分かる。  局所構造が得られる分光法としては、NMR以外にもラマン分光法やX線吸収微細構造法(XAFS)などがあるが、SDPD法への応用においてNMR法は有利な点が多い。前述のように結晶学的に非等価な席が直接見えるところである。ラマンやXAFSでもある程度は配位数を区別でき、XAFSではさらに近接原子間距離が得られるが、同じ配位数の非等価な席を分離することは難しい。もし席数が分かると単位格子内の原子数と合わせて、可能な空間群を絞ることができ、特定の空間群でどの特殊位置にあるかを推定または制約することが可能になる。一方、化学シフトの範囲からは配位数などが分かる。例えばAlやSiの4、5、6配位の区別は比較的簡単であり、そこから例えばSiO\ :sub:`4`\ やAlO\ :sub:`6`\ の部分構造が結晶内に存在することが直ちに確定する。後で述べるように、この部分構造は実空間探索法や直接法プログラムに取り込むことができ、より確実に構造解析を進めることができる。1/2スピンであるSiやPの場合は同じ配位数であっても化学シフト位置は分離されて観察される。これは第2近接原子の影響(重合度や結合角)も受けるためである。第2近接原子との関係は構造解析には直接利用しづらいが、得られた結晶構造が正しいかどうかを判定する際に役立つ。  さらにNMR法では原子が席間で無秩序分布する時でも、定量的に席占有率を求めることができるので、構造精密化において占有率を独立に制約することが可能である。Al, Si, Mgなどの地球科学的に重要でありながら、原子番号が近くてX線的には区別しづらい元素の占有率を決めることができる。実際、ゼオライトの構造解析においてはAl,Siの分布が古くからNMR法で決められている。また、X線で検出が難しい水素は、NMRではもっとも感度の高い元素であり、観測しやすい。水素の化学シフトは水素結合距離とよい相関があり、水素結合を調べるためにも使える。中性子回折では非干渉性散乱を減らすために重水素置換を行うことが多いが、NMR法ではそのような必要はない。水素結合について回折法の結果から議論する場合に、水素の占有率が1よりかなり低い場合には特に注意が必要である。そのような場合に得られるO-H..O距離は、水素を含まないO-O距離も含む平均値であって、その値を鵜呑みにすべきではない。ラマンや赤外分光法も水素がある局所構造のみの情報を与えるので、OH伸縮振動ピークの観察から水素結合の情報が直接得られる。しかし、振動分光法ではフェルミ共鳴や相関場分裂等により、その解釈が単純ではない場合があり、注意が必要となる。\ :sup:`1`\ H NMRの鉱物およびガラスへの応用および水素結合と化学シフトの相関については [Xue09]_ を参照されたい。  ケイ酸塩であれば10 mg程度の試料でSiのスペクトルを得ることができる。必要な場合には\ :sup:`29`\ Siを濃縮した試料を使うと29Si NMRスペクトルの感度を上げることができる。酸素は17Oを観察するが、天然存在度が低いためそのままでは観測は難しく、\ :sup:`17`\ Oを濃縮した試料を作成する必要がある。\ :sup:`25`\ Mgなどの共鳴周波数が低い各種ではより高い磁場が必要である。先に述べたように水素は感度が非常に高いので、完全に無水の試料を除けば何らかの1H NMRピークが観察される。表面に吸着された水や不純物なども観察されるので、試料のハンドリングおよびスペクトルの解釈には注意が必要である。  最近では第一原理計算により結晶内の各原子のNMRパラメータを計算できるようになった(計算可能なコード:QUANTUM-ESPRESSO, CASTEP-NMR, WIEN2K)。もちろん、第一原理計算による構造安定性の評価で初期構造が正しいかどうか判断できるが、それに加えて第一原理計算でNMRパラメータを求め、測定結果と比較することで、得られた結晶構造をさらに評価することができる (例えば、 [Kanzaki12]_ 。さらに、水を少し含む「無水」鉱物の水素位置を第一原理計算と\ :sup:`1`\ H NMR法を使って、推定することも行われている( [Xue17]_ )。最近、我々は\ :sup:`29`\ Si MAS NMRを使って、(Mg,Zn)オリビン固溶体中のM1、M2八面体席におけるZn占有率を求められることを示した。これはSiが第2近接原子(この場合はMg,Zn)に敏感に感応することを利用しており、第一原理計算によるピーク同定が必要不可欠であった( [Kanzaki16]_ )。同試料の実験室系粉末X線装置による占有率の解析は困難であった。