解説2023-1 の履歴(No.1)


解説JMPS2023-1

 高圧含水相のphase AのラマンによるOH伸縮振動バンドの圧力依存性の測定から不思議な挙動がLin-Gun Liuらにより報告されている。2つのOH伸縮振動バンドが圧力と共に低波数側に接近しつつ18 GPaまで移動するが、なぜか交差はせずにさらに高圧側では逆に離れていく。Liuらは相転移で説明しているが、このような振る舞いはある種の共鳴現象のように見える。どうもcorrelation field splitting(相関場分裂)が関係しているようである。そこで振動計算を行って相関場分裂が生じているかどうかを検討した。さらにphase C (superhydrous phase B)についても同様な計算を実施した。

方法

 計算にはQuantum Espressoのpw, phコードを使った。各圧力でまずpwで構造最適化して、それからphで振動計算を行った。常圧においてはIR・ラマン強度の計算も行った。OH同士の振動のカップリングを切るために、H1, H2席の片方をそれぞれ重水素で置き換えた計算、両方とも重水素で置き換えた計算も行った。これは実験で行う同位体希釈法に相当する。

結果と議論

 phase Aでは2つのOH伸縮バンドがラマン及びIRで観察されているが、計算でもそれらが再現された。ただ、各バンドは実際には振動数の近い複数の振動モードからなっていることが分かった。計算された2つのバンド位置の圧力依存性は実験結果を定性的に再現した。つまり奇妙な振る舞いは相転移とは関係ない。振動モードの変位を見てみると、低圧ではOH1またはOH2の片側の変位が卓越しているが、13 GPaではOH1とOH2の変位がほぼ同じ程度になり、モードがミックスしており、さらに高圧側ではまたOH1またはOH2の片側の変位が卓越するようになるが、その関係は常圧とは逆転していた。つまり一見2つのバンドは交差してないように見えるが、実際にはモードが入れ替わっている。
 重水素でH1, H2席の片方を置換した場合は、2つのOH伸縮振動バンドは13 GPa付近で交差した。これはOH同士のカップリングを外してやるとOH伸縮振動数が大きく変わることを意味していて、相関場分裂が13 GPa付近で強くなっていることが分かる。つまり圧力による構造変化によりOH1, OH2の振動数が変調(チューニング)されて、低圧では振動数が離れているために相互作用が弱く、13 GPa付近で振動数が近くなることで強くなり(分裂し)、さらに高圧ではまた振動数が離れていき、相互作用が弱くなる。そのために奇妙な圧力依存性が生じたと説明できた。ODの伸縮バンドでも全く同じ結果(振動数自体は異なる)が得られた。
 phase Cについても同様の計算を行ったところ、phase Cでは常圧で相関場分裂が強く生じており、観察されている2つのOHバンド(約60 cm-1離れている)は相関場分裂の結果、離れていることが分かった。phase Bも似た局所構造を持つので同様だと考えられる。
 相関場分裂は高圧含水相のラマン・IRの解釈で考慮されてこなかったが、実は重要であることが分かった。

論文には書いてない話

 Fermi共鳴とcorrelation field splittingはどう違うのか疑問に思われる方も多いと思います。教科書には、Fermi共鳴は基本モードと倍音や結合音がポテンシャルの非調和性で相互作用する場合に生じるとあります。ただ、基本モード同士でFermi共鳴はないのかと言えば、それも可能であると思います。ただし、その場合でも非調和性は必須だと考えてます。今回の話のようにO-Hダイポール間の相互作用等で生じる場合はポテンシャルの非調和性とは直接関係ないので、Fermi共鳴ではなくcorrelation field splittingとすべきだと考えました。
 なお、O-Hの変角振動の倍音とO-Hの伸縮振動の基本音は、水素結合がある程度強くなると(phase Aよりもさらに強い場合)接近します。この場合にはFermi共鳴が生じます。論文で引用している青木先生のice VIIの例がそれです。実はLiuらの実験は水を圧力媒体に使っていたので、彼らのphase Aのスペクトルの低周波数側で実はこのice VIIのフェルミ共鳴も生じていたことになります。
 相関場分裂はcorrelation field splittingの直訳で、広く使われている訳ではありません。