貫井・中沢 | Graetsch | alpha/beta | remarks |
PO-10 | L2-TD(PO5/10) | alpha? | 常温相 |
MC | L1-To | 常温相 | |
MX-1 | L3-To | 常温相 | |
- | H6-To | 高温相 65~110 ºC MX-1出発 | |
- | H5-To | 高温相 110 ~ 150 ºC MX-1出発 | |
OP | H4-To | 高温相 110~150 ºC | |
OS | H3-To | 高温相 150~190 ºC | |
OC | H2-To | 高温相 190~380 ºC | |
HP | H1-To | beta | 高温相 > ~380 ºC |
トリディマイト(tridymite)は、SiO2の常圧高温安定相の1つですが、多くの多形が知られています。これらの多形は、トリディマイトの高温相HPを基本構造としています。この構造は高温による原子の動きでダイヤミックに実現されているもので、そこから温度が下がっていくと、原子の動きが徐々に凍結されて、位置がずれて、多形が生じます。ポリタイプといった方が正確かもしれません。トリディマイトについて最近研究していますが、多形が多いことで初期にかなり混乱があったこと、かつ命名法の違いがあって、特に古い論文を読む時に分かりづらいところがあったので、以下に備忘録としてまとめました。もし間違い等があったらご指摘ください。
現在、多形の記述に最もよく使われている命名法(nomenclature)は、貫井・中沢 (1980)ですので、今後もこの名前に統一した方がいいと思います。Heaney(1994)のSiO2低圧相のレビューでもこの命名法が使われています。一方、Graetsch(1998)は別の命名法を使っていて、2つ命名法の対応を上に表で示してます。貫井・中沢 (1980)の場合は、PO-n, MX-1を除くと、多形は2文字で表され、最初の文字が晶系(単斜晶系ならM, 直方晶系ならO)を、2文字目が格子のタイプ(C: 底面心格子、P: 基本格子)を表しています。MCなら、単斜晶系で底面心格子の相となります。なお、OSのSはsuperstructureから来ているようです。HPはHexagonal Primitiveの意味ですが、高圧相の意味ではありません(これも混乱しそう)。PO-nのPOはpseudo-orthorhombic (擬直方晶系)の略です。これは見かけ上、軸間の角度が90ºであるが、実際の対称性は直方晶系よりも低くなっていて、PO-10の場合は構造解析の結果により三斜晶系と分かっています。nはc軸の長さが基本構造の六方晶系HP相のc軸のn倍であることを示していて、n =1, 2, 5, 10が知られていますが(n=6はMCに対応するそう)、今のところ、結晶構造解析がちゃんとされているのはPO-10だけです。PO-nは主に地球上の岩石(火山岩中)で見つかります。なお、n=1のPO-1をOP(高温相)とするもの、MX-1と同じとするもの、MX-1が65 ºCで転移してできた相とするものがあって、さらに混乱します。MX-1はbeta角が90度からずれているので、PO-1と同じとするのは適当ではないと私は思います。MX-1のMは単斜晶系から来ていると思われますが、Xの由来は私にはよく分かりません。また、PO-10のように、見かけ上は直方晶系でも実際には三斜晶系だったり、単斜晶系でもいくつかの相がありますので、単に直方晶系(orthorhombic tridymite)、単斜晶系(monoclinic tridymite)と記載することには問題が多いのですが、よく論文で見かけます。多くの場合、直方晶系はPO-n, 単斜晶系はMCを示していると推定されますが、MX-1も単斜晶系であり、これらの名前の使用は今後やめるべきと思います。
石英やクリストバライトでは低温相、高温相の意味で、alpha, beta相の表現をよく使うのですが、トリディマイトの場合には多くの多形があるので、alpha, betaで表すのは適切ではないのですが、過去には時折使われてきました。過去の文献のトリディマイトのalpha, beta相はしばしば別の相を示しているようで、例えばWikipedia (英語版)のtridymiteの記載では、高温相のOCがalpha相とされています。alpha相は普通低温相を意味するので、これは明らかに変です。普通に考えると、PO-nかMCを指しているのでしょうが。私の読んだ文献では、天然火山岩に出る常温相のPO-10をalpha相としている場合が多いようです。一方、beta相はHP多形を示す場合がほとんどです。しかし、このような状態なので、alpha, betaも使うべきでないと思います。ついでに言うと、Wikipedia (英語版)に載っている高温相のLHPについても、まだ研究者によく認められているとは言えないと思います。最近高温ラマンその場観察を行なったが、LHP/HP転移相当の温度でラマンスペクトルの変化を見つけましたが、OC/LHPに対応するはずの変化は見られず、私は自分の実験結果からは、LHPについては今の所否定的な解釈をしています(Kanzaki, JMPS, 2020)。もう1つ混乱するのが、Hill and Roy (1958)がトリディマイト相をMとSの2つに分けたのですが、これはMがorthorhomibicな相(PO-10)に、Sがmonoclinicな相(MC)に対応するようですが、文献によってはかならずしもそうでない場合があります。古い論文ではM,Sが使われています。
これまでの研究では合成物や隕石、月の石ではMCがよく見つかっています。トリディマイトは結構合成するのが難しくて、不純物など入れると合成しやすいのですが、それが転移温度や生じる高温相が試料で異なる原因となっているのかもしれません。普通に合成するとよく生じるのはMCです。ただし、高温から0 ºC以下に急冷した場合には、MX-1が生じる(実際にはMX-1とMCとの混合物)とされています。ただ、私の経験では0 ºC以下にしなくても、室温への急冷でも、ある程度はMX-1が生じます(残りはMC)。また、MX-1はMCを粉砕するなどで生じることが知られています。例えば、粉末X線回折のためにMCを粉砕するとMX-1が増えることが知られてます。私の経験でも、合成したペレットをそのままラマン分光で測定すると主にMCが観察されたのですが、粉砕して粉末回折X線回折測定を行ったところ、ほとんどMX-1になってしまったことがありました。これが初期の粉末X線回折法を同定に使った研究における混乱の1つの原因となってますので、古い文献を読むときには注意が必要となります。上記のS(MC)が示された粉末回折パターンが実際にはMX-1だったりすることがあります。
PO-nの生成条件はまだよく分かってないようです(ちょっと調べようとはしてますが、科研費が当たりません…)。高温合成実験的にはMCの方が得られやすい感じがありますが、PO-nが生じることもあります。MCを加熱すると、110 ºCでOP相に、150 ºCでOS, 190 ºCでOC, 380 ºCでHPへと転移します。これは最近の私のラマン高温その場観察実験でも確認してます(Kanzaki, 2020)。なお、転移温度は不純物等でかなり変動するようであり、ここに書いた温度は大体の目安であり、報告により結構異なります。さらにOSは珪石レンガ(を使った炉など)に生じたMCからは出ないとされています。冷却した場合は、転移のヒステリシスはあまりないのですが、最後にOPからMCへなるところはヒステリシスが大きいことが知られています。OPが一部室温まで保存されるという報告もありますが(Graetsch, 1998)、私は観察したことはありません。なお、これらの温度領域で本当に熱力学的に安定な相は石英なのですが、石英への転移は非常に遅く、このような準安定な状態での転移が容易に実現されています。この状況は別の石英高温多形、クリストバライトでも同様ですが、クリストバライトには低温相と高温相の2相だけしかありませんので、遥かに単純です。また、MX-1を加熱した場合の転移は、MX-1から65 ºCでH6-Toへ、110 ºCでH5-Toに転移します(Graetsch, 1998)。その後はOS, OC, HPと転移し、これはMCと全く同じになります。H6-To, H5-Toについては貫井・中沢 (1980)ではH6-ToがPO-1となっていて、H5-Toについては貫井・中沢 (1980)の後で提案されているので、対応する名前がありません。また、Graetsch (1998)では、Graetsch and Florke (1991)のH5-ToがH6-Toへと変更されているのでこれも注意が必要です。
PO-10を加熱した時は、MCの場合とほぼ同じですが、OPが出ないで、直接OSになるようです(Graetsch and Florke, 1991)。なお、密度的にはPO-10がわずかですが、最も大きく、常温に出現するトリディマイト相ではPO-10が最も安定であると思われます(これはトリディマイト相間での話で、熱力学的にはもちろん石英が安定相)。
普通、隕石にはバルク組成の点からSiO2相は一般に出ないのですが、非常に還元された隕石や母天体で分化したところから来た隕石ではSiO2相が出てきます。隕石中からはMCが報告されています。しかし、どうもPO-10も少なくとも一部はあるようで、Kanzaki (2019)によると過去の文献で報告されている還元されたEHコンドライトのトリディマイトのラマンスペクトルがPO-10と一致することが指摘されてます。また、最近Onoら(2019)はユークライト中にPO-10と思われる相を報告してます(MCも共存)。
MCに室温で静水圧をかけると、0.5 GPaでPO-10へ転移するという報告があります(Nukui et al., 1980)。したがって、隕石中のMCが比較的軽い衝突イベントを受けることで、PO-10が出来る可能性もありそうです。ただ、このNukuiらの報告では転移は可逆とされていますので、圧力を下げると元のMCへ戻ってしまいます。MCやPO-10は、私の最近の論文により、ラマンですぐ同定できるようになりました。そこでDACを使って高圧その場ラマン測定を最近行っています。MCを加圧すると確かにPO-10に転移するようですが、さらに加圧するとまた別の相転移を起こすようです。また、圧力を下げてもMCへは戻らずPO-10のままでした。PO-10自体を加圧してみたところ、MCのPO-10に転移した後とほぼ同じ感じでした。この場合はPO-10が単結晶のまま回収されました。なぜ古い報告と結果が異なるのか理由は不明ですが、MCからPO-10が衝突イベントで生じる可能性はありそうです。これらの結果はKanzaki (2021)として報告しました。
火星表面を探査していたCuriosityが堆積岩からトリディマイトを見つけています (Morris, R.V. et al., 2016)。これは粉末X線回折による同定で、Rietveld法を使って定量分析してますが、MCを仮定しているようです。他の鉱物も混ざっていて、多形を区別するだけの質の回折パターンが取れているようには論文の図からは見えません。しかも、このトリディマイトについては地球と同じ酸性火山起源説を提案されているので、地球と似た火山活動ならPO-10と予想する方が自然だと思います。なお、地球の火山岩からも稀ですが、MCも見つかっていますので、MCであっても不思議ではないのですが… また、この粉末試料はドリルで削ったものなので、元がMCだとするならば、削ったことでMX-1に転移している可能性はないのでしょうか… さらに、火山性起源だとしても、見つかったのは堆積岩ですので、堆積岩になる間に何らかの相変化が生じた可能性も残ります。このようなトリディマイトを多く含む堆積岩は地球では見つかってなく、謎が残ります。最近打ち上げられている、または今後打ち上げられる探査機には、ラマン分光装置も搭載されているので、多形を区別することが可能になるはずで、期待したいところです。
常温常圧でも少なくとも3つのトリディマイト多形(MC, MX-1, PO-n)が出現しますので、どの多形なのか区別する必要がありますが、試料が少ないとか、貴重な試料で非破壊で分析したい場合には困ります。その点、顕微ラマン分光法は試料が小さくてもよくて、前処理がほぼ不要で、非破壊で測定することができます。集光したレーザーでダメージ受ける可能性もトリディマイトの場合はほぼありません。MCの場合のように粉砕などするとMX-1になる場合には特に有効です。しかし、私の知る限り、それらの多形のラマンスペクトルをまとめた文献がありませんでした。ラマンスペクトルが個々に載っている論文でも、alpha相と書かれていたり、どの多形と対応するか記載が十分でないことがありました。これでは非専門家には多形の区別が困難です。そこで、天然と合成の試料からMC, MX-1, PO-10のラマンスペクトルについて測定を実施して、その結果を論文にしました(Kanzaki, JMPS, 2019)。今後はそれを見て頂ければ、常温で出現するこれらの3つについては簡単に区別できるはずです。そのスペクトルはラマン分光のページにも示しているが、このページにも下に示してます。それを使って過去の文献を調べてみると、隕石でもPO-10が出る場合がどうもあるようです。なお、PO-nの10以外のラマンスペクトルはまだ測定できていません。天然試料を色々と集めてラマン測定と粉末X線回折測定をしているのですが、今のところPO-10以外が得られていません。もしかしてPO-5なども見ているのかもしれませんが、PO-10以外は構造が不明なため、PO-10と区別できていない可能性も残ります。そのため、シミュレーションでPO-5などの構造を求めることも行なってます。
室温で出現するトリディマイト多形 (MC, MX-1, PO-10)のラマンスペクトルです。MC, MX-1は合成試料。MCには少しMX-1が混ざっています。PO-10は天然試料。PO-10の2つのスペクトルがかなり異なって見えるのは、方位が異なるため各ピークの相対強度が変わるためです。これと完全に同じではないのですが、同様なスペクトルは既に論文に出してます(Kanzaki, 2019)。